西村緑により再月刊化となった『フィガロジャポン』--10/11【日本モード誌クロニクル第3部:横井由利】

2015.03.25

2008年のリーマンショックは、世界中の経済を冷え込ませた。その影響はモード誌にも確実に及び、出稿を控えるブランドが相次ぎ、出版界全体で存続の危機を迎えるのではないかと噂された。しかも、インターネット業界の攻勢に、紙媒体の必要性も取り沙汰されるようになっていたのだ。

そんな時世の中『フィガロジャポン』も時代に即した刷新を行うことになった。それは海外のモード誌でも繰り返されてきた編集長交代による刷新だ。

09年12月5日号より、現在の西村緑編集長へバトンが渡された。西村編集長の最初のミッションは紙媒体の役割について考えることだった。
「1995年に隔週刊化したときは、情報のスピード感が重要でしたから月に2回刊が有効でした。ところが今は情報の速さを求めるならスマートフォンでサクサク見られる時代、紙媒体に求められるのはスピード感よりクオリティーの時代になってきたと思いました」。こうして『フィガロジャポン』は20周年を機に10年6月号から月刊化することになった。

西村編集長への取材で、最初に聞いたのは雑誌のスタンスについてだ。「1週間で消えていく雑誌にはしたくないと思います。雑誌なのに保存版と言われたい。現に書店でも『フィガロジャポン』のバックナンバーコーナーを作ってくださっているところもあります。モードから広がるカルチャーといったジャンルミックスを得意とした、どっしりした雑誌作りを目指しています」との答えが返ってきた。

雑誌と真摯に向かい合い、読者にとって何が必要で何が有用なのかを見極め、知恵を絞ったクオリティーの高い記事を自信を持って読者にお勧めできる雑誌が作れるか否かは編集長の腕次第だ。今まで通り売れる鉄板企画だけを作り続けていては、読者との距離は離れていく一方なのかもしれない。

これは単なる私見に過ぎないが、現在のモード誌の編集長に『フィガロ ジャポン』出身者が多いのは「フィガロ・マジック」があるのでは?と西村編集長にたずねると「いや、単に雑誌好きが集まっていたということではないでしょうか」と、当たり前のようで、妙に説得力のある答えが返ってきた。それは編集者の勘とスキルと粘り強さを叩き込む編集部の体質が言わせた言葉のような気がした。

阪急コミュニケーションズの『フィガロジャポン』『ニューズウィーク日版』『Pen』及び書籍部門は、2014年10月カルチャー・コンビニエンス・クラブ株式会社を株主とする株式会社CCCメディアハウスに移管された。3度目の新会社となっても、会社所在地もスタッフも変わりなく、今まで通りに運営されている。

11/11--25年間変わらずパリを発信するに続く。
Yuri Yokoi
  • 西村緑編集長就任となる『フィガロジャポン』2009年12月5日号
  • 再月刊化となった『フィガロジャポン』2010年6月号
  • 『フィガロジャポン』公式サイト
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