12月17日は華道家の勅使河原蒼風の誕生日です

2014.12.17

華道家の勅使河原蒼風(てしがはら そうふう)は1900年12月17日生まれ。79年9月5日逝去。

華道家の勅使河原久次の長男として生まれ、子供の頃から生けの修業に励む。やがて、古典的な華道に疑問を抱くようになるが、そんな彼の考えを久次は認めなかった。そのため、蒼風は27年に実家を離れることになり、東京青山に家を借りて“投入花・盛花教授”の看板を掲げると、独自の流派「草月流」を立ち上げている。

28年に蒼風は銀座千疋屋で個展を開くと、その軽快でモダンな作品は大きな話題となった。その後も、世の中へと草月流を広めるべく、NHKラジオ番組で生け花講座を開いたり、「新しい生花の上達法」などのを刊行。戦時下においても疎開先の群馬で生け花教室を開き、45年には焦土と化した東京で、戦後初のいけばな展「勅使河原蒼風、小原豊雲二人展」を開催。復興のシンボルとして人々の心の支えとなった。

また、この頃から蒼風の作品には、生け花の新時代を切り開くような、独自の試作が見られるようになる。49年の第1回文部大臣招待日本花道展では、作品「再建の賦」で、ボリューム感を強調した“マッス”の表現を確立。51年には植物に石膏をかけたり、着色を施した作品を発表すると、“オブジェいけばな”と呼ばれて多くの注目を集めた。56年には樹齢1,000年の藤蔓を用いた、総重量3トンに及ぶ大作「いのち」を発表し、58年にも「伊勢神宮参宮博覧会」で超大作「摩天」「神木の舞」を奉納している。

その一方で、52年にはニューヨークで、55年にはパリで個展を開き、『タイム』誌によって“花のピカソ”と称された。68年にはソ連を訪問しており、各地の美術館で個展を開くと、“友情の花”としてマスコミに大きく取り上げられている。これらの活動が評価されて、60年にはフランス芸術文化勲章を、61年にはレジオン・ドヌール勲章を、62年には芸術選奨を受賞。63年にはパリの国際現代芸術展に生け花だけでなく、書や彫刻なども出品し、晩年になってもなお旺盛な創作意欲を見せていた。
HEW
  • 勅使河原蒼風が設立した「いけばな草月流」公式サイトより、勅使河原蒼風の作品
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